【名作】「ドラえもん のび太と新・鉄人兵団」を徹底レビュー。歌、人形、ペンダントの意味が意外と深かった
みやシネマのレビューの一発目は、「ドラえもん のび太と新・鉄人兵団~はばたけ天使たち~」です。
なぜ映画レビューの一つ目に、ドラえもんの映画を選んだのか?
その理由は、僕がドラえもん映画が大好きだからなんです。
ドラ映画は、子ども向けの単純明快さと、大人が見ても感動できる深いストーリーが共存しているところが本当にスゴイんです。
制作者の方たちは、「ドラえもんは子ども連れの家族が見る映画」というのを本当に良く分かってらっしゃる!!
「大人と子供の両方を楽しませてやるぞ!!」という製作者の意気込みをいっつも感じるわけですよ。
そんなドラえもん映画の中でも、新・鉄人兵団は歴代屈指の名作だと僕は思っています。
何が素晴らしいって、そのストーリーの完成度の高さです。
今回の映画は、旧作からの追加要素がストーリーに深みを与えていますね。
- 新キャラクター「ピッポ」の登場
- 捨てられた人形のエピソード
- しずかのペンダントと3つの星
- 劇中歌「アムとイムの歌」
これら全てが、本作のテーマである「他人を思いやる心」につながっているのがポイントです。 伏線をうまく張り巡らせた作品は数多いですが、こんなにもキレイにテーマへとつながっていく映画は珍しいんじゃないでしょうか。
新・鉄人兵団は「大人も楽しめる深いストーリー」を持った映画です。
「映画見たけど、そんなにストーリーが深かったか?」なんて思っている方は、もしかしたらこの伏線に気づいていないのかもしれません。
映画ドラえもんでは、初見では気にも留めなかった演出が、実はストーリーに深みを与える重大な要素になっていたりします。
今回の記事では、ストーリーにちりばめられた伏線をできるだけ細かく解説します。
※以下のレビューはネタバレな上、既に映画を見ていること前提です。
「まだ見てない!!」って方は、一度映画を見た上で、解説をご覧ください。
テーマは「人を思いやる心」
この作品を一言でいうと、「ロボットであるリルルとピッポの心が育っていく物語」なんです。
のび太たち人間とふれあうことで、ほんの少しだけ持っていた「人を思いやる心」が大きく育っていき、3万年の時を越えて真のメカトピア建国として花開く、そんな感動ストーリーです。
…こんな感じで短い言葉でまとめてしまうと、えらいあっさりしたストーリーに見えますが、そんなことはありません!!
映画の中の一つ一つのエピソードが、ラストシーンにつながっていって、とってもきれいなストーリーになっているんです!
それでは、彼らの心の変化を順にみていきましょう。
メカトピアのロボットには「人を思いやる心」がない
物語の中盤までは、メカトピアのロボットは他人を思いやらない、ということが印象付けられています。
リルルとピッポも同様に、人を思いやる気持ちが理解できないことを表現したシーンが多いです。
(後述しますが、リルルとピッポには人を思いやる気持ちを実は持っているんですが、自分達がそれに気づいていません。)
それでは、いくつかのシーンを取り上げてみましょう。
まずはピッポから。
鏡の中の世界に入って、ロボットたちに襲われてしまうシーンですね。
捕まったドラえもんたちを助けに行こうとするのび太に対して、こんなことを言います。
ピッポ:「せっかく助かったのに、わざわざ危ないことするな!」
「助けて何の意味があるんだ?」
どうやら、メカトピアのロボットにとっては、他人を助けるという行為は自分には何の得もない無意味な行動として考えられているようですね。
ピッポがとても冷たい奴に見えますが、メカトピアのロボットにとっては理屈に合わない行動には意味がないという事なんでしょう。
まあ、ロボットらしい考え方ですよね。
リルルに関しても同じようなシーンがあります。
しずかがリルルを助けた後、目を覚ましたシーンですね。
リルル「助ける?どうして?」
「私が壊れたって、あなたに何の関係があるの?」
「意味が…分からないわ…どうして…」
しずかがリルルを助けても、しずかにとって何の得にもならない。だから、他人を助けるなんて意味が分からない。
損得勘定抜きにリルルを助けた、しずかの心が理解できないということが表現されています。
さらにさらに、ほかのロボットたちにもこのような描写が随所に見られます。
土砂に埋もれたザンダクロスを掘り起こしながら、モブロボット達は「こんな奴ゴミ箱行きにしちまえばいいのに。こいつはゴミだ!」と言っています。
また、
しずかが木の下敷きになったリルルを見つけるシーンで、モブロボット達はリルルを助けようともせずジュドを追跡し始めます…
メカトピアのロボットには、他人を思いやる心が全くないということが、これでもかというくらい強調されていますね。
実はリルルとピッポには「人を思いやる心」が最初からあった
じゃあ、のび太たちと出会う前のリルルとピッボに「人を思いやる心」が全くなかったのかというと、そんなことはないんです。
リルルとピッポが、お互いを思いやる心を持っていることがちゃんと表現されています。
ただ、その心に気付いてなかっただけなんですね。
まずはピッポから。
ピッポがのび太たちの前で「アムとイムの歌」を歌う場面。
ピッポ「僕は何をやってるんだ…リルルだけでも助けなきゃ!」
と言い、改心したとウソをついて、ピッポはリルルを助けに鏡面世界に行きます。
これ、実は重要な場面なんです。
なぜなら、自分ではリルルを助けなきゃと言っておきながら、この後のシーン①では、のび太に「友達を助けて何の意味があるんだ?」って言ってるからです。
のび太が友達を助けにいくことを理解できないんですね、自分も同じようなことをしたのに。
このシーンでは、ピッポは人を思いやる心がありながら、それを認識していないことがよく表現されています。
この後のび太たちと触れあっていくことで、自分の中の「人を思いやる心」が確固たるものとして育っていく訳です。
リルルにも同様のシーンがあります。
労働ロボットは歌を歌うなという理不尽な理由で半分壊されたピッポを助ける回想シーンですね。
リルル「大丈夫、きっと助けるから」
ピッポ「なんで…」
リルル「分からないわ…ただの、気まぐれよ。」
傷ついたピッポをリルルは修理して助けます。
リルルのこの行為は、決して気まぐれなんかではいはずです。
ですが、リルル自身はなぜ自分がこんなことをしているのかが分からず、「気まぐれ」という理由付けをしています。
このシーンからも、人を思いやる心をもちながらもそれを理解していないリルルが読み取れますね。
人を思いやる心が生まれたのはいつなのか?
このように物語を詳しく考察していくと、リルルとピッポはのび太たちと出会う前から人を思いやる心を持っていたことが読み取れます。
それでは、彼らが人を思いやる心を手に入れたのはいつなんでしょうか?
実は、そのシーンはちゃんと映画内で描写されているんです。
それは、壊れたピッポを助けるために、リルルが3つ目の星をあげる回想シーンです。
このシーンのポイントは、星の色です。
リルルは、破損した3つ目のをピッポから取り出し、自分の星をピッポに与えています。
画像の左側に映っているのが破損したピッポの星で、リルルが手に持っているのは自分の星です。
どちらも黄色であることが確認できます。
もちろん、星が黄色なのは、回路から星をはずしたからではありません。
それは、この直前のシーンからも明らかです。
リルルの回路にはまっている3つ目の星の色は、明らかに黄色ですね。
この後リルルがピッポにあげた星がどうなるかを見てみましょう。
リルルの星がピッポの回路にはめられた瞬間、星が光り輝き、緑色へと変化します。
それでは、星の色は何を表しているんでしょうか。
- 黄色い星 = 人を思いやる心がない
- 緑色の星 = 人を思いやる心がある
と解釈するのが妥当です。
これは、「人を思いやる心」の象徴としてしずかから受け取ったペンダントが緑色であったこととも整合します。
つまり、このシーンはリルル (とピッポ)の中に初めて「人を思いやる心」が生まれたシーンだと解釈することができます。
それでは、もう一歩踏み込んで、なぜ「人を思いやる心」が生まれたのかを考察してみましょう。
ピッポに星をあげた瞬間リルルの星が緑色になったことから、「他人に星をあげる」ことがきっかけになったと考えるのが妥当です。
つまり、「人を思いやる心は、自分の心を他人にあげる (他人と心を通わせる)ことによって生まれる」わけです。
これは、映画全体を通しての製作者側のメッセージだと考えられます。
相手と心が分かり合うから、思いやりが生まれるわけです。
そしてこのメッセージは、リルルがしずかから貰ったペンダントをロボットにはめ込むシーンの複線となっています。(後述します)
リルルに思いやりの心があることにピッポが気づいていく
物語が中盤にさしかかると、のび太やしずかと触れ合うことで、実はリルルも思いやりの心を持っていたということにピッポが気づきだします。
この心境の変化は、2つのシーンで描かれています。
一つ目は、シーン①の直後です。
友達を助けに行こうとするのび太に対して、ピッポは「助けて何の意味があるんだ?」と言います。
その後、のび太が「そんなの…意味なんかないよ!でも友達だもの、助けなきゃ!!」 と言うんですが、そのときピッポは昔リルルに助けられたことを思い出します。
リルル「大丈夫…きっと助けるから」
そして、ピッポはリルルとのび太を重ねます。
ピッポを助けたリルルと、友達を助けようとするのび太が同じ心を持っていることにピッポが気づき始めたわけですね。
ピッポとリルルの心境の変化は、バーベキューの夜にピッポがリルルに話しかけるシーンでも読み取れます。
愚かな人間なんてロボットの奴隷になればいいと言うリルルに対して、人間も自分たちと同じなんじゃないかと言うピッポ。
そして、
ピッポ 「でも僕…気づいちゃったんだ。リルルが僕を助けたのは…」
リルル 「やめて!あなたを助けたのは、ただの気まぐれよ」
「意味なんて…ないわ…」
このシーンでは、ピッポとリルルの心境が変化していくのがよく描かれています。
まずは、ピッポの「リルルが僕を助けたのは…」のセリフの意味を考えてみましょう。
シーン⑦で、友達を助けようとするのび太とリルルを重ね合わせたことを考えると、リルルがピッポを助けたのはのび太が友達を助けるのと同じ理由という事になります。
つまり、ここでは「リルルが僕を助けたのは…のび太と同じように人を思いやる心があるから」と言いたいんだと解釈できます。
次に、リルルのセリフの意味を考えてみましょう。
「リルルには人を思いやる気持ちがある」と言おうとするピッポを制止して、リルルは「あなたを助けたのは気まぐれ」と言います。
このセリフには、自分に「人を思いやる心」があることに気づき始めているものの、それを認めたくない葛藤が表れています。
恐らく、メカトピアのロボットの思考は理屈に基づいて行われるもの、という考えがあるんでしょう。
リルルは、理屈に合わない考え方をする「心」が自分にあることを、メカトピアのロボットとして認めたくなかったのでしょう。
一方その次のセリフで、リルルは「意味なんて…ないわ…」と言いながら、隣で寝ているしずかを見つめます。
これは、シーン②のしずかの行動が伏線になっています。
シーン②で、リルルは自分に関係のない人を助けるしずかの行動を「意味が分からない」と言っていました。
ですが、自分もピッポを助けた時にしずかとまったく同じ行動をとっていたことに気づいたんです。
ピッポを助けたのは「気まぐれ」だと言い訳をしつつも、自分がしずかと同じなんだという事に、リルルも気づき始めているわけです。
「人を思いやる心」がリルルとピッポの中で育っていく
こうして自分たちの心に気づき始めたリルルとピッポですが、この後のび太やしずかと触れ合うことで、彼らの「人を思いやる心」は育っていきます。
そして終盤では、彼らは自分の身を挺してのび太たちを守っていくわけです。
もはや説明の必要もありませんが、彼らの「人を思いやる心」が垣間見れる感動シーンを見ていきましょう。
まずはピッポから。
終盤にかけて、ピッポは身を挺してのび太をかばうようになります。
一つ目のシーンは、鏡の世界の秘密をばらそうとするリルルとのび太が対峙している場面ですね。
リルルがのび太に攻撃をしたとき、ピッポは身代わりになってのび太を助けます。
「助けて何の意味があるんだ?」 (シーン①)なんて言っていたピッポと同一人物とは思えない変わりようです。
2つ目のシーンは、クライマックスの鉄人兵団との決戦シーンです。
とてつもない数の兵団に対して敗色濃厚になっていく中、兵団の攻撃がのび太を襲います。
すると、自身もボロボロなのにもかかわらず、覆いかぶさるようにのび太を助けます。
なおも攻撃が続き、壊れていくピッポですが、それでものび太を守ることをやめません。
「大丈夫だよ…もうすぐ全て終わる…」と言いながら、身を挺してのび太を守るピッポに涙を禁じえません。
この映画屈指の泣けるシーンですが、今までのピッポの心の成長を考えると、一層深みのあるシーンですね。
リルルも同じように、クライマックスで自らの「人を思いやる心」を披露します。
リルルはしずかと一緒に3万年の過去に行き、みんなを助けるために歴史を変えるという決断をします。
そして、しずか達からもらった「人を思いやる心」をアムとイムに伝えることで、メカトピアを「天国のような国」に変えるのです。
歴史を変えれば自分が消えてしまうことを理解しながら、それでもみんなを助けるリルルに感動するシーンです。
ここでポイントなのは、リルルもピッポも自分を犠牲にして友達を助けているという点です。
のび太やしずかからもらった「人を思いやる心」が、ちゃんと彼らの中で息づいていることが印象づけられています。
リルルが最後に「ペンダント」をはめこんだ理由
リルルがアムとイムに自分の星をはめ込むラストシーンはとても感動的なんですが、一つ「ん?」と思う点があります。
それは、リルルが3つめの星をはめ込もうとしたとき、自分の中に星がないことに気づき、しずかからもらったペンダントをはめ込むシーンです。
もちろん、リルルの3つめの星は既にピッポにあげてしまっているんですが、それにしても
「ただのペンダントでいいのか?」
という疑問を持った方も多いでしょう。
恐らく「星」はロボットの感情を作る回路のようなものと考えられるので、ただのペンダントなんかはめても意味ないんじゃないの?という疑問はもっともです。
でも、安心してください!!リルルがペンダントをはめ込んだのには、ちゃんと理由があるんです。
ここでは、リルルがアムとイムにしずかからもらったペンダントをあげた理由についうて考えてみます。
実は「人形」が伏線になっている
このラストシーンを理解するためには、まずしずかが人形を見つける場面まで戻らなくてはいけません。
この人形、表面的にはココロコロンのオマージュに見えますが、実はもっと深い意味を持っています。
しずかが初めて人形を見つけたのは、「ロボットが人間のマネをしている」と言われ激高したリルルに襲われた後です。
その後家を飛び出したしずかは、
しずか「勝手に…壊れちゃえばいいんだわ。」
「やっぱり…ロボットに人の気持ちが通じるわけないのよね。」
と言います。
そしてその後、ゴミ捨て場に捨てられている人形を見つけます。
場面は変わって、しずかがリルルに薬を飲ませるシーンです。
リルル「汚い人形…」
しずか「でもなんか…寂しそうだったから…」
リルル「人形が寂しいなんて…思うわけないわ…」
しずか「そんなことないわよ。お人形さんにだって、きっと、心はあるわ。」
人形の登場は、一見なんてことないシーンに見えますが、ちゃんと意味があります。
まず指摘したいのは、リルルと人形の共通点です。
ゴミ捨て場に捨ててある人形はボロボロですが、 しずかが初めて会った時のリルルも、爆発に巻き込まれてボロボロでしたよね。
そして、リルルはロボットであり、人間ではありません。
ある意味、人形と言える存在なわけです。
このような共通点を考えると、人形 = リルルとして描かれていると考えることができます。
それでは、人形 = リルルの構図でセリフを読み解いていきましょう。
まずはしずかの心境からです。
しずかはこのシーンの最後で、「お人形さんにだって、きっと、心はあるわ。」と言っています。
これは、リルルにも「人と同じような心」があると信じている、ということを意味しているわけですね。
直前の場面で「ロボットに人の気持ちが通じるわけないのよね。」と言っていたことを考えると、人形を見つけたことで心境が大きく変化したことが読み取れますね。
捨てられた人形を寂しそうと感じたしずかは、ロボットであるリルルとも心が通じあえるはずだと思い直したわけですね。
一方、リルルは「人形が寂しいなんて思うわけがない」と言っています。
人形 = 自分なわけで、これはつまり自分に「人と同じような心」があるなんて信じていないというリルルの心境を表しています。
このリルルの心境は、他の場面からも読み取れますね。
例えば、ピッポを助けたのも「ただの気まぐれ」と言っていたりしますからね。
自分が人間と同じような心を持っていることを、かたくなに否定していたわけです。
つまりこの時点ではまだ、リルルとしずかの心が完全には通じ合っていないわけですが、この伏線は物語のクライマックス、シーン⑪ (リルルがペンダントをはめ込むシーン)で回収されます。
シーン⑪は、リルルが「自分にも人間と同じような、人を思いやる心が宿っている」と信じるようになったことを意味しているわけですが、これについては次の節で詳しく話します。
ちなみに、シーン⑬ (「人形にも心はあるわ」)のあと、物語のキーワードは「ロボットの心」になります。
このシーンまでは(多分)一度も「心」というキーワードは出ていませんでしたが、これ以降はリルルとピッポが「心」というキーワードを多用します。
このことからも、「人形に心はある」といったしずかの言葉が、リルルとピッポに大きな影響を与えたことが見て取れます。
しかも、「心」という言葉を使うのはリルルとピッポだけで、ほかの鉄人兵団は一切使わないのも印象的ですね。
なお、この人形はちゃんとエンディングにも登場してますし、作品の中で重要な要素として扱われていることが分かります。
「ロボットにも思いやりの心がある」ことを信じたリルル
それでは、シーン⑫のリルルがペンダントをはめ込むシーンに戻ってみましょう。
リルルはなぜ、しずかからもらったペンダントをアムとイムの回路にはめようと思ったのか?
それは、しずかが「人形にも心がある」と言ったように、ロボットである自分の中にも人と同じ心が宿っていると信じるようになったから、と考えられます。
順を追って説明します。
まずはシーンをおさらいしましょう。
タイムマシンでメカトピア建国前に行ったリルルは、アムとイムの「人を思いやる心」を育てることで、歴史を変えることを決意します。
ロボットが「人を思いやる心」を持つようになれば、メカトピアは天国のような国に生まれ変わり、鉄人兵団は消えてなくなるからです。
ですが、アムとイムを作った博士が倒れてしまいます。
リルルは、しずかたちからもらった「人を思いやる心」をアムとイムに伝えることを思いつき、自分の「星」をあげることを決意します。
一つ目、二つ目の星をあげた後、リルルは三つ目の星がないことに気づきます。 (ピッポにあげちゃってますからね)。
この時リルルは、怪我をしているときにしずかからもらった緑の星のペンダントのことを思い出します。
そして、しずかの方を振り返って微笑みながら、ポケットからペンダントを取り出し、アムとイムに与えます。
なかなか感動的なシーンなんですが、ここではなぜリルルがペンダントをアムとイムにあげようと思ったのかについて突っ込んで考えてみましょう。
まず、シーン⑥を思い出してみましょう。
リルルがピッポに自分の心 (=緑の星)を与えた瞬間、二人に思いやりの心が生まれましたね。
このシーンは、しずかがリルルにペンダントをくれた場面の伏線になっています。
しずかのペンダントは緑の星型であり、ピッポにあげた心と同じ色・形をしています。
これは、しずかからもらったペンダントは、しずかがリルルにくれた「人を思いやる心」を表している、と解釈できます。
つまり、星型のペンダント = 「しずかが自分にくれた思いやりの心」なので、これをアムとイムにあげれば、「人を思いやる心」が伝わるとリルルは考えたわけですね。
ここで重要なのは、リルルが「星型の回路」ではなく「星型の(ただの)ペンダント」でもロボットに心が伝わると思った理由です。
ロボットの中にある「星型の回路」は、ロボットの感情を作り出す何らかの装置と考えられます。
それをアムとイムに与えれば自分の心が伝わると考えるのは自然でしょう。
ですが、リルルがアムとイムに最後にあげたのは、ただのペンダントです。
回路でもなんでもないペンダントをあげても意味はないんじゃないかと考えるのが自然でしょう。
なぜ、理屈の通りに行動するロボットであるリルルが、こんなことをしたのか?
それは、自分がしずか達からもらった心は、回路から作り出される感情なんかではないと考えたからでしょう。
ここで、シーン⑬の「人形にも心はあるわ」というしずかのセリフを思い出してみましょう。
恐らくリルルは、しずかが汚れた人形に心があると信じたように、自分にもしずかたちの心が宿っていると信じたのでしょう。
自分がしずかからもらった「心」は、星型の回路が機械的に人間の心を模倣するように学習したのではない。
まぎれもない「人間の心」が自分の中にあると信じたのではないでしょうか。
なので、しずかがリルルにしたこととまったく同じことをしようと思ったのでしょう。
しずかは、リルルに回路を分け与えたわけではないですよね。
「星型のペンダント」に思いをのせて、リルルに託しただけです。
だから、しずかの行動と同じように、アムとイムにも緑のペンダントをあげようと思ったんじゃないでしょうか。
ペンダントに自分の心をのせれば、アムとイムにも「人を思いやる心」が伝わる。
そう思ったからこそ、ただのペンダントをアムとイムにあげたのでしょう。
「ロボットにも人を思いやる『心』がある」ということをリルルが真に信じた、感動的なシーンです。
「人形にも心はあるわ」といったしずかの思いが、リルルにもついに伝わったわけですね。
ラスト直前の「アムとイムの歌」の変化
さらっと歌だけで流されちゃうんで、気づいていない方も多いんじゃないでしょうか。
生まれ変わったリルルとピッポが出てくるエンディング直前のシーンで、「アムとイムの歌」が流れるんですが、実は歌詞が変わっているんです。
もともとの歌詞は、
ひとつめは愛 あなたとわたしはひとつ
ふたつめに願い あなたはあなた わたしはわたし
みっつめに想う あなたはなあに わたしはなあに
なんですね。
ポイントは三つ目の歌詞。
「あなたはなあに。わたしはなあに」という歌詞からは、メカトピアのロボットが人を思いやる心を持っていないことが表現されています。
では、このエンディング直前のシーンの歌詞はどうなっていたか。
みっつめに想う あなたはわたし わたしはあなた
に変わっています。
相手と自分を同じに思う、「人を思いやる心」が根付いていることがよく分かります。
この歌詞から、メカトピアが天国のような国に生まれ変わったことが分かりますね。
3万年の時を超えて真に建国したメカトピア
こうしてストーリーを振り返ってみると、「のび太と新・鉄人兵団」はメカトピアが生まれ変わるまでを描いた物語と捉えることができます。
物語の始まりは、リルルが壊れたピッポを助けたときでした。
リルルが自分の3つ目の星をピッポにあげることで、初めてメカトピアのロボットに「人を思いやる心」が生まれました。
メカトピア建国から3万年もの年月をかけて、やっと生まれたその心は、のび太たちと過ごすことで大きく育っていきます。
ピッポはのび太の「友達を助けようとする」心を目の当たりにします。
その姿にリルルを重ね、最後にはのび太を身を挺して守っていくようになります。
リルルは敵を助けたり、ロボットにも心はあると信じるしずかのやさしさにふれます。
そして最後に、自分が消えてしまうにもかかわらず、リルルはメカトピアを天国のような国に変えるために行動をおこします。 しずかからもらった「人を思いやる心」が自分の中にもあると信じ、3万年の時をさかのぼってアムとイムに心を伝えます。
そもそも、「メカトピア」とはメカ (機械)とユートピア (理想郷)を合わせた造語と思われます。
ただ、生まれ変わる前のメカトピアは、「ロボットのためのユートピア」でした。
人間のことなんか考えず、労働力としてロボットのために人間を奴隷にしようとした考えがまさにその証拠です。
そのメカトピアは、物語の最後で、天国のような国に生まれ変わります。
リルルが総司令の前で言ったように、「ロボットによる、全ての生命のためのユートピア」へと、真の意味で建国されることになります。
3万年かけてすこしずつ育まれた心がのび太たちと過ごすことで大きく育ち、やっとロボットが他人を思いやる心を持てたわけですね。
その他本筋とは関係ない小ネタレビュー
リルルとピッポの願いがちゃんと叶ってる
ピッポとのび太たちがバーベキューの買い出しを行ってるシーンが、実はエンディングの伏線になっています。
ピッポ 「どうせならもっとカッコいい鳥になりたかったピヨ」
そうなんです。実際、この願いはかなってるんですよね。
ピッポ、カッコいい鳥になってるやん!
リルルも天使になってるやん!
ってわけですね。
何気ないシーンなんですけど、「メカトピアが天国に生まれ変わった」証拠になっていますね。
ドラえもんが結構ドライ
今回の映画、ドラえもんが結構ドライなんですよね。
リルルを助けるか助けないかで揉めている時も、
「何か情報を聞き出せるかもしれないな…よし!助けよう」
って言ってますし、同じロボットに感情移入をしているようなシーンは見受けられません。
恐らく、製作者側の意図として、「のび太達 (人間)とピッポ達 (ロボット)のふれあい」に焦点を当てたかったんじゃないでしょうか。
ドラえもんまでピッポ達にやさしく接してしまうと、「人間がロボットに心を伝える」という物語のストーリーが薄れてしまいますからね。
ある意味、「既に人間側のロボット」であるドラえもんは、今回の映画では扱いが難しかったのかもしれません。
ピッポ登場は製作者側のファインプレー
今回のリメイクでの新キャラ「ピッポ」は、物語に深みを与える上で、とてもいい役目を果たしていますね。
映画ドラえもんのリメイク全般に言えますが、「主人公はのび太」というのが意識されているように思います。
例えば、魔界大冒険で最後の銀の矢を投げるのがジャイアンからのび太に変更されているなど、ストーリーの中心にのび太がいるように意識的に改変しているんではないでしょうか。
で、「今回なぜピッポという新キャラが登場したのか?」を考えると、やはり「ストーリーの中心にのび太をもってくるため」だったんじゃないでしょうか。
旧作の鉄人兵団は、ストーリーの一番大事な部分が、しずかとリルルだけで完結してしまっています。
のび太はクライマックスシーンにかけて、どちらかというと置いてけぼりになってしまっています。
ですが、リメイクでは、「リルルーしずか」に加えて、「ピッポーのび太」という構図を加えることで、のび太をストーリーの中心に置くことに成功しています。
さらに、ピッポとリルルの心がつながっているという演出もGood!!ですね。
この設定により、のび太がピッポにあげた心が、ちゃんとリルルに伝わるわけですから。
シーン⑫でリルルが自分の心をアムとイムに伝えることを決意した場面に回想シーンが挿入されますが、そこにはしずかとの思い出だけでなく、ピッポとのび太の思い出も含まれています。
のび太の心がピッポに伝わり、それがリルルを通してアムとイムに伝わっていく。
こういった演出をすることで、のび太がストーリーの根幹にからめているわけですね。
まとめ
えらい長文になってしまいましたが、 レビューをまとめると
「新・鉄人兵団は名作!」
の一言に尽きます (笑)。
歌や人形、ペンダントなどの伏線がうまく使われており、そのすべてが作品のテーマをより深みのあるものにしています。
とてもよくまとまったきれいなストーリーですので、ぜひもう一度Amazon primeで見てみて、感動してください!